コヒナタワーゼの小部屋

Seek ye first the Kingdom of God And His righteousness. And all these things shall be added unto you. Allelu, Allelujah!

自己反省

なるほど。なるほど〜〜といつも通りの自己反省会をしていた。

私思うのだけれども、外部からの客観的な評価をもらったり、刺激を受けることでよし、頑張ろうって気になるのではあるまいか。

だとしたら評価を避け続けてた私なんなんだろう〜思えば今になっていろんなことできるんだって思った。うーん思考力がない。

そう、これがバレるのが怖くて止めてたのね気づいて良かったなあ。積極的になろう。

文系が理系インターン行ったよ! IT編

 夏休みを使ってITのプログラム実践のインターンへ行っていきた。

私の行った企業は文系でも受け入れ可能で当初はドローンか何かのプログラミングをする予定であった。

帰ってきた感想は文系と理系では深い隔たりがあるということだ。

能力面で隔たりがあるだとか、文系では理系は不可能だとか、理系では文系は不可能だとかいう話ではない。

自分の専門分野での常識を、当たり前として押し付けてくるのだ。企業として、同じ部署にいれば、自分の常識は部署の常識となり、疑うことはなくなる。自分の正しさをそして押し付けてくるのだ、インターン生にもね。

そしてその正しさのイレギュラーが私だった。めちゃくちゃイラついて今でもプログラム書いているとそのことが思い浮かんでくるのでここで書き連ねようと思う。

きっかけ

 プログラムを書くことが趣味だった。というのも好きなものは目に見えるもので、HTMLやCSS、そしてjavascript、processingといったものが好みな大学生だった。プログラミング歴はかれこれ5年以上。 ITパスポートと基本情報技術者試験を勉強しておいたら、まあインターン中の会話で困ることはなかった。

就職希望はITだ。一方大学での専攻は哲学寄り。趣味では毎日カタカタパソコンを触っているが、大学では触っていないため、様子を見ることも兼ねて、地方のIT企業へインターンすることにした。なぜ地方かというと、都会なら近場なので行きやすいし、将来は地方の方へ行くだろうと見越していたからである。

 

では内容と地方に関して。

 

インターン

 まずインターン生が2人いた。私とその地元の国立大学の人。まあ地元の国立大の人が優先されるよね、うん。私の大学は県外だし、遠いです。私の行ったインターンの場所はまあ本当に田舎の場所だったので、大学が数個ぐらいしかない。だから、会話の中でも、例の地元の国立大の名前しか出てこなかった。なんだろうね、この多様性の無さと、思考停止具合。県立大とかあるんだから、国立大ばかりじゃなくて他の大学も見ればいいのに。

 先ほど地元の国立大の人の方が優先されるよねとは書いたがもちろん国立大の人の方が優先された。なにぶん私が女性であったのもなめられたのか、自己紹介する際に私が最初に前の方へ出ていても、後ろにいた男性の地元国立大の人に先に挨拶するように促された。は?

 そして担当者だ。私とは話そうとしなかった。必要最小限の会話のみ。彼女云々言ってたから、女性が苦手なのかなと思って観察してたら、社員の女性(複数)には普通に喋ってた。ドウイウコトダイ。文系だからか?と思って見てたら文系出身社員にちゃんとプレゼントあげてた。ああこれは”私”がダメなのだなと思った。インターン2日目ぐらいで私なんかやったっけ?思い浮かばなかった。

 

 まあ担当者以外にははっきりと態度には出されなかったのは幸いである。思ったことは能力あっても人間性なくないか?

 

インターンの内容

 インターンの内容は日本語化されてない新しいプログラミング言語を勉強して見ようというもの。そのプログラミングもバックエンド系でかなり難しい言語だった。私の勉強経験のあるプログラミング言語はフロンドエンド系なのでまあ難しかった。無理ではなかったけれども。

 2日目あたりで今回のプログラミングの概要や使い方がだいたいわかってきたけれども、JAVAを勉強したことがなかったので、後ろで動いている動きというものがしっかりと理解できてなかった。残り2日だし、JAVAは帰ってから学んで、今回は目に見える部分を作るか、と考えた。これが最後のトドメの一つになった。

 

トドメ

 私がめちゃくちゃイラつくことになった例のアレである。このインターンの最後の日にインターンでその日に行ったことをプレゼンしてください!と言われた。なるほど、プレゼンか、日々行なったことを発表すればいいんだな。例えば・・・これまでなら2日目は○○さんの話を聞きました。私は〜なので云々言えばいいやつか。といつもの調子で理解した。

このインターンで行ったこと、という言葉がずれていたのだろう。インターン先の人が欲しかったのは成果であり、私は必要なものは過程であると認識した。

そしてプレゼンでミスマッチした。「どうして〜〜のプレゼンをしないの?プレゼンはそうやってやるんじゃない」と言われた。さも常識という口ぶりで。私はインターンのプレゼンは何度か経験している。今回も同じものだと認識していた。

私はちゃんと聞いておいたはずだ、成果物を作るのではなく日々に行ったことをかけばいいんですねと。結果は上記の言葉だ。なるほど、私と相手では常識が違うわけだ。(私が質問し返したからその差異が理解できた)

私はちゃんと確認しておくべきだったのだ。過去に行われた発表だとか、何が共有されているかだとかそういったことを。

 

 サンプルをそのまま使ってはいけないだろうと思っていた。だってそれは半分以上自分の作品ではない。けれども、サンプルの一部を変えたものでも全然良かったらしい。私の考える、一から作り上げなくても良かったらしい。知るか。なんだこの差異は。

結論 

 相手が何を意図しているのかちゃんと確認しようね!過去にどんなものが作られたとか、相手は相手の常識で話してくることが多いぞ!!!こういうめんどくさい展開に持ってかれないように気をつけよう!!

 

地方

 あと地方に関しても書いておきたい。地方国立大あるでしょう、基本田舎の住民はその地方国立大の名前しか出てこない。選択肢はない。地方に将来行こう〜とか思ってたけれども半分絶望しかない。多様性がない、常識が凝り固まる

 

終わり

 いやまあ全然内容に関してはそこまで困らないんだけど常識にやられる感じになりました〜〜〜私たち本読まないから、とか言われた時、私は「なんてかわいそうな」とか思ってしまった。本読まないから、って堂々と言えるのは恥ずかしくないですか?

認識において、偏見において理系文系の隔たりが強いですね。 

 これは地方から都市圏に流出するね、もちろん仕事がないとかもあるけれども。

とっても有意義なインターンになりました☆

まあ今回半分私怨で書いてるからまた時間経ったらなんか考えるかもしれないけど今の私はこう感じた・・・また見直した時、認識の補助にでも使ってください。

 

じゃあね!

海の風景ー加計呂麻島ー

今週のお題「海」

 海と聞くと加計呂麻島から毎日見ていた海の風景を思い出す。そして、少しばかり苦い風景を思い出す。幼い頃、家族と海に行って楽しく遊んだ記憶がある。その記憶もとても大切な記憶でもあるのだけれども私にとって海と聞いて真っ先に浮かんでくるのは突き出たコンクリの上に座って加計呂麻島から望む海。深夜過ぎ、ハブに気をつけながら夜道を歩いて海辺まで行った。ゴギブリがとってもいっぱいいて君たち昼間どこにいるの?と思いながら砂浜を歩いて海の音を聞いていた。星が綺麗。そして、その時期は今と似たような夏だった。

 

 加計呂麻島に行って何をしたのか、というと、やっぱり人間との関わり方だった。私は旅行をしても、土地の上に何が建っているかの違いだろ、と考える人なので場所という観点から受ける刺激は少ない。おそらく、気質や人に焦点が行くのだ。そして、私が言われたのは「つまらない」という言葉だった。

 

 私は内気で頑固の子どもだった。高校の時は意地を通してクラスメイトと仲良くした記憶がない。だから、大学へ入ってからはかなり困った。距離感がつかめなくて、1回生〜2回生前半まではずっと人間との付き合い方、を考えていた。そんな中、2回生の夏に、加計呂麻島へ行ったのだ。動機としては単に離島に対する憧れ、だったと思う。

 

 私は内気で相手を不快にさせないように気をつけていた。人間関係とはそういったものだと考えていた。当時、私は結構厳しい寮に入っていて、どこもかしこも規則があった。役員もやっていたため、下手に問題を起こさず、前回のものを引き継いて行うのが基本だった。みんな真面目にやってない。私も、寮の仕組みが嫌いだったから、仕方ないから行なっているだけだった。どのみち規則からは外れられない。外れたらペナルティという罰が待ってる。もちろんルールがあるから、私たちは快適に過ごせられる。(また、ルール、法は考えていきたいと思ってます)

 

 けれども、「話さないからつまらない」か。つまり、何を行なってもある程度の人は不快にさせるんだな、と考えた。だったら、自由にやった方がよくないか?そこから、私は自分自身を解放させていくように傾けていった。解放させる、とは考える前に行ってみるということ、私は考えすぎる癖があったから、もっと軽く、話してみることにしたのだ。今なら、まだ失敗しても、ミスをしても軽いものだ。思い返せば、中学だってm高校だってそうだった。今ではもう、何をしていたのかは覚えていないよ。自他共に認める人見知りだったのに、今はもう人見知りと言われる私はいない。私はまだ人見知りという自覚があるのだけれども。

 海と聞くと加計呂麻島から毎日見ていた海の風景を思い出す。そして、少しばかり苦い風景を思い出す。何もできなかった自分、「もっと自分を表現して」と言わせてしまった自分、意見を言えなくて見くびられた自分、自信を持てなかった自分。加計呂麻島へ行って、素晴らしい人たちに会って、私は末席を汚し続けたけれど、あの苦しく苦い体験から今がある。まあ今となっては、理想が高くやっと得られた自信を再び喪失しかかっているのだけれども。しかし、これは自信がないのではなく、なんども自分の自信を再構築していっている過程だ。

 

 こうして、自信を構築していくことができたから、自らダメな人間関係を切り離していくこともできた。未知なことを行うときも自分自身に、大丈夫だよ、ということができるようになった。こうして、失敗して、恥をかくことはまだ私には必要だ。今度はちゃんと自分で選択していきたいな、自分のみならず周りも。

また頑張ろうね。

 

何だろう、海を見ると毎回あのダメだった自分を思い出すというのはある種の呪いになっているのかもしれないけれども、「いつの日かこの記憶が美しい思い出になることを願う

 

京都 歴史のまちー祠からー

この1日はテスト勉強のためのもの、というと長い1日の時間の中でできれば良い、という考え方になってダメだなあ。気をつけよう。

 

さて、3回生になってゼミが始まって教授がどのように疑問を組み立てているのか?という事がわかってきた。違和感を拡張して考えるんだ。だから、センスを磨け、とか本物に触れておけ、とかいうんだね。有島武郎の作品を読んだんだけど、まるで血で書いたような言葉から目を離せなかった。中原中也の作品を読んだ時と一緒だなあ。有島武郎も近道を言ってはいけない、と言っていた。今はまだわからないけれども、多くの人が同じ言葉を残しているんだから、いつか遠回り・楽をしないことの大切さがわかってくるんだろうなあ。

 

大学が京都で、周りに古い建物が多くあるのだけれども、残念ながら、私には京都という土地は魅力的には見えなかった。けれども、今日の散歩は少し違った。私はやっと違和感を言語化するという事がわかってきたと思う。いわゆる、センスを磨け、ネタ探し、というものができるようになってきた結果なのかな。

 

京都を歩いていると、古い古民家や地蔵様、何かしらを祀っているの祠があちらこちらにある。私の地元は静岡で比較的都会の方の出身だから祠だとかそう言った古いものはあまり見かけない。均一的に近代化されている。しかしながら本来の実家?は田舎にある。その田舎にはある程度祠だとかは残っているのだけれども。明治から大幅に日本は変わったよね。また、その時代付近は調べてまとめたいと思っています。

 

私の本来の出身であろう田舎に祠は残っている、と言ったね。その祠の1つは私の祖先の祠なんだ。だから、昔から信仰心というか天上的な何かに対する尊敬的な念は決して忘れたことはないよ。加えてこの事実がきっと私をキリスト教の方へ傾けたんだなと思う。

 

ああ、話が逸れた。何が言いたいかって祠とかは誰かにとって大切なものでゆかりのあるものであるということ。ゆかりがあるとは行われた事実があって歴史があるということ。だから、あちこちに祠がある京都は現在と過去に分断された場所なんだなって思った。いつしかのレポートで、私は京都は昔ながらのものと、現代のものが混在している町だと思います、と書いた。だから、京都に住んでいる間は、現代と、過去の人々が見ていたものが見れるね。さすが歴史のまち。やっと理解できました。

とある哲学の授業

やっと検索に出るようになったーー!

(出ないせいでwordpressに移動しようか悩んでた人。グーグルコンソールエラーってなんだよってなってた。また詳しく見ます。)

さて気を取り直して、

やっぱり哲学はいいもの。

とりあえずメモしておかないといけないと思ったことをば

 

・議論の際、結論が決まってなくても発表する。まず発表すること

・必ず首尾つけようとする。そのためいろんなところから情報引っ張ってきて何を言っているかわからなくなる。全てを見て結論づけなくてもいい。

・完成されてないものは多くある。ここまでの資料でここまでしかわかりませんでした、もOK

・時代に残るものは利用されうるもの。(ジャンヌやナポレオン)

・自分自身を第三者から見る。

・よりよく生きるために、問題に対して問答を繰り返すこと。その行為は終わることはない。

・今の大学生の世代は上に従う、ということを良いこととして育てられた。空気を読むな、自己を出せ!

 

パイドンから

すなわち、出来るだけ思惟だけを用いてそれぞれの対象に近づき、視覚を思惟の助けに用いたり、そのほかなんらかの感覚を引っ張り込んで思惟といっしょに用いたりせずに、純粋な思惟そのものを用い、それぞれの真実性を純粋にそれ自体として追求しようとつとめ、目や耳やいわゆる肉体全体については、これらとともにあれば魂はかきみだされ真実と知恵とを得ることができないとして、それからできるだけ離れるもの

 

 シミアス、もし誰か真実在をとらえる者があるとすれば、それは、まさにこのような者ではないのか

 

結論。

・世界の名著を読もう(全巻買ってる。宝の持ち腐れすぎる)<知識>

・考える練習

・体と魂について

 

身体に思考は引っ張られるから筋トレ云々が必要になるのだろう。ギリシャ哲学よりも現代哲学の方が好きでソクラテスの弁明やらクリトンやらを軽く読んだだけだったのだけれども案外的を得た発言をする。

思惟、とはすなわち思考。思考とは理性・・・いいや違う、思考の中に理性と感情が入るとする。

 

理性・・・道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。

(goo辞書 https://dictionary.goo.ne.jp/jn/231038/meaning/m0u/より引用)簡単に論理というか。

感情、本物に触れ路、と池田晶子さんの本で読んだなあ。

 

ここ最近という者、お友達同士で座ってギャーギャー喋ってるのほんとうるさいって思ってたのだけれども肉体に引っ張られていたなあと常々。身体は思惟の助けにして、ちゃんと自分自身こそが”本物”になろうと思ってたことを思い出した。誰かの模倣なのではなく。いろんなところから持ち寄ったらもうそれは模倣ではなかろう!

 

変化の理由 変わりを促した出来事

 かつて、私が失意の底にいるときに読んだ本があったんです。こうして書き出すということはもちろん私に大きな影響をもたらした、と考えてもらって問題ありません。

何が私に大きな影響をもたらしたのか、というと、その本はあたかも読者に話しかけているようだったのです。あたかもこんな風にね。・・・よくぞここまできてくださりました。春が近づいているように見えて、冬が追ってきている。そんな感じがしますね。寒さも、もう懐かしいものになっていくでしょう。

私は変わりましたか?ええ、同じことを言われました。どうしてそんなに変わったの?と従姉妹さんに言われたんです。如何してか聞きたい?いいでしょう、ここまできてくださったんですもの、喜んで。むしろ、私も誰かに話したかったんです。

 

きっかけは、大きな失敗をしてしまったこと。端から見たらそのぐらい、と思われそうなものですけれども、私にとってはどん底に落とすような絶望でした。それは哲学だったり、また当時の現実だったりしたもの。ああ、そうですね。私は高校の時に哲学にはまっていたんです。何に惹かれたか、というと私が何も知らない、ということに惹かれたのです。だから、知識を増やすために哲学の本を読み始めた・・・。そこで、私は何の価値判断基準もないことに気づいたのです。

大学受験の選択が近づいてきていました。私は何も選べませんでした。そう、何も選べなかったんです。その時に思っていたことは、このまま生きていくことは地獄だということ。何も基準を持たずに生きるということは、何よりも恐ろしく見えたのです。

 

そんな考えの中、大学へ入りました。私は人を不快にさせないように気をつけていたままでした。大学へ入って、黙ってばかりだった私と仲良くしてくれる人が現れました。その人はきっと憐憫で私に仲良くしてくれたんでしょうね。でも、確かにきっかけを作ってくれた。その事には感謝しています。

私は、大学入学時は、人見知りで恥ずかしがり屋で人と話すのが苦手。無口でした。本などの知識は人よりも一歩上をいっていたかもしれませんが、人に可愛がられるタイプでもなく、愛嬌もありませんでした。食べ物の好き嫌いはいっぱいあって、世間というものがわかっていませんでした。子どもだったんです。だけれども、私と仲良くしてくれて、一番の友達だと言ってくれた。その事実はそのお友達が私の安全基地になって、私の多様な行動を可能にし、自分に自信を持たせました。結局、他人による助けも多かったのですね。

 

私は他人よりも違うところがあると思っていました。それは、このまま生きていったら地獄であるということを認識していたということ。何かしらの行動を起こさなければ現状を変えられないと思っていたことです。だから、多くのことをしようとしました。ボランティアに行ったり、サークルを見たり、インターンに行ったり、集会に顔を出してみたり。ただの意識高い系に見えるかもしれませんが、意識が高いというよりはダメになりそうだったからこう行った行動を起こしていたにすぎません。そういった行動の一環でした。夏に、離島へ行ってその場所の住人の方と過ごしてきたんです。そうして現地の人と様々な話をしました。年齢が大きく外れているからかな。その人物がもともとホストだったからか、とってもいろんな話をされました。心に突き刺さって外れないことも。

それは「何も話さないのはつまらない。どうして話してくれない、不快だ。」

話さないことが不快だったんですね。私自身を出さないことが不快にもなるんですね。誰かのためを思って行うことも不快になりえるのですね。だったら、私は自分を抑えることをやめよう。人見知りすることをやめよう。もっと喋ろう。本当は、もっと喋りたかった。話したいことがいっぱいあったのだから。

 

平成が終わりますね。確かに私はこの夏の日々も、一年生の日々も駆け抜けました。

抑えて駆け抜けるのはもったいないことだった・・・

私は、平成から令和に変わることが怖くて仕方ないのです。まだ平成にやり残したことがたくさんある気がしてならないのです。だけれども現実は待ってくれない。

夏が来て秋が来て春がくる・・・私は変わらなくても、周りは変わっていきます。変わって欲しくない、というのは未練、なのでしょうね。

まだ自分のことについて話すことは慣れていないようです。また、たくさんお話をしましょう。

今日はここまで。ありがとうございました。

良い令和を迎えましょう