コヒナタワーゼの小部屋

Seek ye first the Kingdom of God And His righteousness. And all these things shall be added unto you. Allelu, Allelujah!

変化の理由 変わりを促した出来事

 かつて、私が失意の底にいるときに読んだ本があったんです。こうして書き出すということはもちろん私に大きな影響をもたらした、と考えてもらって問題ありません。

何が私に大きな影響をもたらしたのか、というと、その本はあたかも読者に話しかけているようだったのです。あたかもこんな風にね。・・・よくぞここまできてくださりました。春が近づいているように見えて、冬が追ってきている。そんな感じがしますね。寒さも、もう懐かしいものになっていくでしょう。

私は変わりましたか?ええ、同じことを言われました。どうしてそんなに変わったの?と従姉妹さんに言われたんです。如何してか聞きたい?いいでしょう、ここまできてくださったんですもの、喜んで。むしろ、私も誰かに話したかったんです。

 

きっかけは、大きな失敗をしてしまったこと。端から見たらそのぐらい、と思われそうなものですけれども、私にとってはどん底に落とすような絶望でした。それは哲学だったり、また当時の現実だったりしたもの。ああ、そうですね。私は高校の時に哲学にはまっていたんです。何に惹かれたか、というと私が何も知らない、ということに惹かれたのです。だから、知識を増やすために哲学の本を読み始めた・・・。そこで、私は何の価値判断基準もないことに気づいたのです。

大学受験の選択が近づいてきていました。私は何も選べませんでした。そう、何も選べなかったんです。その時に思っていたことは、このまま生きていくことは地獄だということ。何も基準を持たずに生きるということは、何よりも恐ろしく見えたのです。

 

そんな考えの中、大学へ入りました。私は人を不快にさせないように気をつけていたままでした。大学へ入って、黙ってばかりだった私と仲良くしてくれる人が現れました。その人はきっと憐憫で私に仲良くしてくれたんでしょうね。でも、確かにきっかけを作ってくれた。その事には感謝しています。

私は、大学入学時は、人見知りで恥ずかしがり屋で人と話すのが苦手。無口でした。本などの知識は人よりも一歩上をいっていたかもしれませんが、人に可愛がられるタイプでもなく、愛嬌もありませんでした。食べ物の好き嫌いはいっぱいあって、世間というものがわかっていませんでした。子どもだったんです。だけれども、私と仲良くしてくれて、一番の友達だと言ってくれた。その事実はそのお友達が私の安全基地になって、私の多様な行動を可能にし、自分に自信を持たせました。結局、他人による助けも多かったのですね。

 

私は他人よりも違うところがあると思っていました。それは、このまま生きていったら地獄であるということを認識していたということ。何かしらの行動を起こさなければ現状を変えられないと思っていたことです。だから、多くのことをしようとしました。ボランティアに行ったり、サークルを見たり、インターンに行ったり、集会に顔を出してみたり。ただの意識高い系に見えるかもしれませんが、意識が高いというよりはダメになりそうだったからこう行った行動を起こしていたにすぎません。そういった行動の一環でした。夏に、離島へ行ってその場所の住人の方と過ごしてきたんです。そうして現地の人と様々な話をしました。年齢が大きく外れているからかな。その人物がもともとホストだったからか、とってもいろんな話をされました。心に突き刺さって外れないことも。

それは「何も話さないのはつまらない。どうして話してくれない、不快だ。」

話さないことが不快だったんですね。私自身を出さないことが不快にもなるんですね。誰かのためを思って行うことも不快になりえるのですね。だったら、私は自分を抑えることをやめよう。人見知りすることをやめよう。もっと喋ろう。本当は、もっと喋りたかった。話したいことがいっぱいあったのだから。

 

平成が終わりますね。確かに私はこの夏の日々も、一年生の日々も駆け抜けました。

抑えて駆け抜けるのはもったいないことだった・・・

私は、平成から令和に変わることが怖くて仕方ないのです。まだ平成にやり残したことがたくさんある気がしてならないのです。だけれども現実は待ってくれない。

夏が来て秋が来て春がくる・・・私は変わらなくても、周りは変わっていきます。変わって欲しくない、というのは未練、なのでしょうね。

まだ自分のことについて話すことは慣れていないようです。また、たくさんお話をしましょう。

今日はここまで。ありがとうございました。

良い令和を迎えましょう