子供は宝か?
子どもは宝なのか?
まあ宝なんだろうな。あらゆる本を見ていて、文章を見ていて、作品を見ていてこの言葉の否定形を見たことがない。いな、あらゆる人がこのような言葉を言う。
子どもにあるものは何か。未知、故に起こる”子どもらしい”感情。
道はすなわち選択肢の大きさを表すのだろうか。私が小学生や中学生の時、君たちには無限の可能性があるといった。その事実が価値なのだろうか。もしくは再起か。
新しいものによって新たに物事が進んでいくのか。ああ、私にはきっとこちらの結論の方が好ましい。
私が不服に思うのは子どもは宝だといって終わる人。
自分の意思を後の人間に託して自分はもう諦めようとしている人。
初心者の人に大変だったらいってくださいね、と言う無意味な言葉を言って保険をかけて帰って行く人たち。
子どもは宝だよ、だからと言ってどうして自分自身は宝ではないのか。
どうして「僕/私のようにはなってはいけないよ」なんて言葉を容易に口にできるのかがわからなかった。自分自身に価値がないかのように話す人、どうしてなのかがわからない。
自分なら自分のこと、なんだってできる。だから、自分のことも宝だと思ってよ。
羅漢は自分の欲望は他人の欲望だと言った。良くも悪くも私たちはほとんど反応しているだけなのかもしれない。それが嫌で、私は史学科へ入っている。
またこの話もちゃんとかけたら・・・。
蛇足。現在車輪の国、向日葵の少女をやっています。主人公面白い!そしてこの主人公がう〜んもやもや(良い意味で)